こんにちは、彦どんです。
社畜と言う言葉が認知されて久しいですが、今現在も社畜と言う生き方を容認している方々が世の中には沢山いらっしゃいます。
ほんと、申し訳ないですが、私が脱サラ前に勤めていた会社の同僚達はほぼ全員、社畜だったんだろうなと、今もつくづく思います。
但し、一言で社畜と言っても何種類かに分かれると思います。
①完全なる社畜
- 考える力が全く無く、ただひたすら搾取されるためだけに生かされている
- 自分が社畜であるなんて夢にも思っておらず、そもそも、社畜と言う言葉すら知らない
- 人の意見に左右され安く、一人では生きてい行けないと思っている
- 頑張るとか、信じるとか、気合とか、根性など、意味不明な考えに頼る傾向がある
②自分は社畜ではないと思っている社畜
- 考える力があると思っている、が、実は洗脳は解けていない
- サラリーマンは社畜とそれ以外に分かれていると考えており、自分は社畜側ではないと思っている
- 自分は頭が良く、優秀な選ばれし者だと思っており、社畜達を指導する側の人間であると信じている
- 自分自身が社畜であるという認識が無いので、その環境から抜け出すと言う考えは無い
③絶望している社畜
- 考える力はあり、搾取され続ける社畜と言う生き方に不合理さや嫌悪感を持っている
- 生きて行くために、心を押し殺して、社畜のふりをして生活している
- 仲間意識の強い社畜達に目覚めた自分の存在がバレると面倒なのでなるべく息を潜めている
- 社畜人生に絶望しているが、行動に移す勇気が無く仕方なく現状に甘んじている
④虎視眈々と機を窺う社畜
- 考える力はあり、搾取され続ける社畜と言う生き方に不合理さや嫌悪感を持っている
- 生きて行くために、心を押し殺して、社畜のふりをして生活している
- 仲間意識の強い社畜達に目覚めた自分の存在がバレると面倒なのでなるべく息を潜めている
- あわよくば、社畜ライフを抜け出したいと考えており、密かに脱出計画を実行している
こんなもんですかね?
細かく細分化すると、もっと色々な社畜に分類できると思いますが、大体、こんな感じではないかと思います。
私の脱サラ前の会社では、多分、②の人が多かった気がします。
たまに飲みの席などで、投資や起業、脱サラや早期リタイアの話を回りの友人や同僚にふってみたりしたこともありましたが、大体「はぁ…?」と言う反応が返って来ることが多かったです。
「彦ちゃん、大丈夫?」
「どこでそんな知恵を付けたんだ?」
「何か、変な宗教にでもハマった?」
「俺に高額商材とか、売りつけるなよ」
「子供じゃないんだから、そんな夢物語を信じちゃダメ」
「おいおい、頭は大丈夫か?」
「えええー、何かひくわ~、どうした…?」
「お前にそんな能力はない!」
「そんなの、単なる逃げなんでしょー?」
「人間、地道が一番、頑張ろうよー」
っで、かくいう私にも②の時期があったと思います。
何となく、20代が①、30代前半が②で、30代後半から40代にかけて③~④を行ったり来たりといった感じでしょうか。
これまでに何度も書いてきましたが、30代前半の②の段階で「金持ち父さん貧乏父さん」と出会ったのが大きかったですね。
これが、私の洗脳を解くきっかけとなり、その後、スムーズに③~④へ移行することが出来ました。
思うに、②にどっぷり浸かってしまうと、社畜マインドを解くことはかなり難しくなってしまうんじゃないかと思います。
っと言うのも、②の人達は、自分達の人生は安定安心、良いことばかりでは無いがそれなりに幸せだと感じている人が多い気がします。
なので、わざわざ、危険を冒してまで、おかしな方向へ人生を曲げる必要はないと考えるのも当然だと思います。
日本人のほとんどがサラリーマン、一億総社畜社会なので、大多数と同じにすることを好む日本人なら尚更ですよね。
っで、考えてみると悲惨なのが、③の状態の人達です。多分、社畜の中で最も辛く苦しい人達だと思います。。。
だって、もう洗脳は解けてしまっているんですよ?
自分は毎日毎日、チューチューと搾取されていることに気が付いてしまっているんですよ?
なのに、その檻から抜け出すことが出来ずに、自由と権利を奪われて束縛されているのです。
しかも、実は檻の扉が開いていることまで気が付いていて、いつでも逃げ出すことが可能であるにも関わらず、「外は危険だぞ」「裏切るのか」「逃げるのか卑怯者」「信じてたのに…」などと脅され、最悪は家族を人質を取られて、仕方なく檻の中に止まっている人もいるかもしれません。
そんな③な人達には、絶望しかないですよね?可哀そうで仕方がありません。。
「③絶望している社畜」な方々が、一日でも早く「④虎視眈々と機を窺う社畜」にクラスチェンジして、見事、檻の中から脱出に成功することを切に願います。。。
尚、「①完全なる社畜」「②自分は社畜ではないと思っている社畜」は自業自得と言うか、洗脳されているので、自分が無く死んだも同然だと思います。
自分で考えたり、リスクをとって自分で人生を開拓することを放棄した人達なので、そんな人達の家畜人生に興味はありません。
当人も苦しいとか苦しくないとか、良くわかっていない可能性が高いので、個人的には、全く同情に値しません。
まぁ、結局、生き方は個人の自由ですからね。
ふんふんふん~、何て素敵な社畜ライ~~フ☆、とで歌いながら檻の中で一生を終えるのも選択の一つかと。
気になるのは、社畜を止めたいのに、檻から脱出したいのに、それが出来ない人達のことです。
絶望している社畜の皆さん、毎日、半歩づつで良いので、檻から出る練習を始めてみてはいかがでしょうか?
外は意外と怖くないと言うことに気が付くかもしれませんよ?
檻の扉は開いています。
後は、あなたがどう決断しどう行動するか、それだけです。
ではでは。

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